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新井煮干し子先生「GATAPISHI」感想

 

GATAPISHI (on BLUEコミックス)

GATAPISHI (on BLUEコミックス)

先生やっぱ天才でした

 

これBLなんですけど(?)BL以上の、なんか、人間が誰かを好きになるっていう過程のどうしようもない部分が短くて濃い話にギュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜と濃縮されてて、読むたび放心します。

 

BのLで萌える部分はぜひ読んで楽しんでいただきたいので割愛します。 

まってやっぱり一つ言います、先生の描く真面目なBLシーンの真顔とギャグシーンの変顔、とか、すきなんですけど、こんかい特にその使い分け?がバグっててちょうおもしろいのでそこ楽しめます、色っぽ美形イケメンと熱血濃い顔イケメンの顔の感情出力がバグってます。

 

で、内容なんですけど、今回って人への感情の向け方っていうより人間個人の考え方の方が書かれてたなあと思って、

 

男子高校生を扱ってる作品の、メガネとか同級生の男子に恋愛感情を向けるっていうことにたいしての、二人の捉え方の違いを書いてたなって思うんですね

でも、今回は付き合ったのが秒なんです。ほんと、10ページ目くらいで。と思ったら付き合ってからの二人の差?齟齬?みたいなのがどんどん明らかになっていく書き方がすごい印象に残りました・・・なので、人間描いてるなあ、みたいな(???)たぶんタイトルの”ガタピシ”ってここからきてるんだろうなって。付き合ってるのに、愛し合ってるのに、なんかピースがはまりきらず軋んでお互いずっと傷つきあってるんだなあ・・・でもそれってバッドエンドじゃなくて、生まれも育ちも違う人間が二人一緒にいるにはしかたのないことで、それとどう折り合いつけようか?ってふたりで向き合い続けるのが愛なんだなって思います(宗祖か?)

 

表紙になっている美男子の瑞泉は、親や周囲の人間から与えられると期待している愛情(ここでは褒めるも叱るも同じくらい含まれる)を受け取れず、そのフラストレーションが逆ギレに繋がってるんだなと思う。
そして、受け取ったことがないから与えることもできない。

達観してるお坊さんのお父さんは、悪いことは怒らずに諭す、相手がテコでも動かない時は諦める、幸運は自分の力ではない、仏様や周りのみんなから賜ったものだから誇らずに静かに感謝する…の姿勢で生きてるわけだけども

まだ幼い、いたいけな実の息子にそのスタイルで接していいか、
ましてやそのスタイルで生きなさいと教えていいのかというと、違う
やり過ぎを知ってるから限度を知れるのであって、
最初から与えないとわかんなくなるに決まってる。何も知らない子どもなんだから…(もし代々瑞泉家が寺を運営してるとしたらお父さんもこうやって育てられちゃったのかもしれない)
お母さんも穏やかでつねに周りを気にするというか、主観がないというか、「広い目線でものごとを捕らえてる」感じがあり

いわゆる「実の親子としての特別扱い」が受けれなかったんだろうな、門徒さんもいっぱい住んでるし、そしたら年下もわらわらいるわけで、必然的にそっちに手が回ってしまう

そこで、お前の顔が好き、一目惚れだ、お前と〜〜〜したい!(お前のことが知りたいから)お寺を知りたい!て自分を特別扱い&ちやほやしてくる阿野の登場は胸キュン通り越して宇宙人きちゃった・・!だったんじゃないかなと思います。序盤とかの、自分からカマかけたくせに言われた言葉にドン引き・・・に、それが現れてるんじゃないかと

打って変わって阿野は””””実直””””で、どうやったら瑞泉怒らないかな、どうやったら瑞泉の思ってることをちゃんとわかってやれるかなと試行錯誤していて超健気に瑞泉にアタックしてます。
おばかなのでぶつかってだめだったら次の方法やるぞ!っていうやり方で、「絶対に諦めない、でも方法にはこだわらない」
そういうさっぱりしたところが瑞泉とちがうなーと思う

 

瑞泉は出しては引っ込め、感情こそ乱暴だけどやってることは結構臆病で、どうせ届かないからと諦めも入ってる気がする

口に出さないから突発的な行動に見えるけど、本当は心のうちに長い間葛藤をたくさん抱え込んで膨れ上がらせてしまって、そのフラストレーションが爆発して行動に表れるんじゃないかな〜そうだとどうしようもなくかわいそうで好き〜〜〜〜〜〜

 

中盤、阿野は腕の怪我の後遺症のことを、まったく口にしなかった
瑞泉はそれに父と母を連想してしまって、「必要のないことは言ってくれない」と決めつけて八つ当たりしてしまう。つまり、瑞泉って自分の知らないところで勝手に諦められて線を引かれる、自分に心配もさせたくないのか!って、その行為自体にキレるんですよね
でも、阿野は諦めたはずの野球への思いに耐えきれなかっただけだった。まだ決着がつけれてないから口に出すのも辛かっただけなんですよね、もう瑞泉に打ち明ける打ち明けない以前に、自分の不甲斐なさに苦しんでいる・・・言ってしまえば全人類に言わないってことなんですよね多分。
瑞泉に打ち明けた時の泣きそうなのを我慢して笑ってる顔がしぬほどやばいんです、見て・・・

でもですよ、その人生かかってる悲しい悔しい感情を、「瑞泉にちゃんと向き合いたい」という意思、理性?で押し切って、きちんと口にして伝えた

阿野のいいところや強いところってそこと思うんですよ、

だから本心ははぐらかし相手にも期待しない瑞泉がやっと心を緩めたんだと思います
緩めてもちゃんと素直に言えないところがどうしようもないね

 

なんていうかね、不器用の方向性の違う二人がこれでもかと濃く抽出されてるかんじで


考えすぎて先に全部諦めてるけど愛されたい瑞泉と
気持ちが先行しちゃって考えるのが下手な阿野


瑞泉自体も自分の感情をちゃんと認識できてなかったのかもしれない、
こう思ったからこういう感情を出力する、そのプロセスすらも形成できなかったのかもしれない
だから阿野が自分の言動に一喜一憂する、素直な自分の気持ちを伝えてくれる、瑞泉はどうなんだ?ときちんと確認して、その上でうけとめてくれる。その瑞泉の答えに、またまっすぐ自分の感情を返してくれる。その返してくれたものが例え怒ってるのでも悲しんでるのでも笑ってるのでも、瑞泉にとっては新鮮で、溢れるほど愛しくて、ちょっとずつだけど阿野側の(=素直に感情を表現できる、恐れずに反応を求めることができる)人間に歩み寄っていけるようになったんじゃないかなあとか思い・・ました

若気の至りというか漠然と生き死にの話しちゃうのめちゃくちゃ好みなんですが、煮干し子先生のその展開の描き方はなんちゃってふたりぼっちとガチのふたりぼっちをないまぜにしてちょ〜〜どいい塩梅で素晴らしいんです、なんか、商業BLを読んだっていうよりヒューマンドラマってかんじ 愛ってなんだろうみたいな気持ちになります(哲学)